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【Skholeの哲学広場】第1回―なぜ人は学びたいと思うのか?―

古代ギリシャ語で「余暇・暇」を意味する「Skhole(スコレー)」。この「Skholeの哲学広場」は、古代ギリシャ人が、Skhole(余暇)に哲学的な議論をおこなっていたということから発想した企画です。デザイン・クリエイティブのヒントとなる(かもしれない)、「哲学対話」の様子をお届けしていきます!

第1回目のテーマは、「なぜ人は学びたいと思うのか?」。初回ということで、JDN編集部と社員の5名が参加しました。対話では、そもそも「学ぶ」ってどういうこと?「学ぶ」と「学習」は同じこと?実際に行動に移せる「学びたい」と、なかなか行動に移せない「学ばなきゃ」の違いは?といった疑問が続出。

みなさんは、なぜ「学びたい」と思いますか?ぜひ一緒に考えてみていただければと思います!
※「哲学対話」の概要は第0回の記事でご紹介しています

■参加メンバー
:営業職。入社2年目。推しがいる。
:企画職。趣味は動画視聴。
M:営業職。かわいいもの好き。
:営業職。中学生男子の母。空手や絵画など多趣味。
:編集職。小学生2人を子育て中。サッカー観戦が好き。
(ファシリテーター:

必要に迫られる「学び」と知識欲からくる「学び」

:「なぜ人は学びたいと思うのか?」―まず、お正月に私は学びたいと思いました。良い切り替わりだなと。ちょうど本を読んで、意識も高まってきていたんですよね。やっぱり何かきっかけがあるときだったり、切り替わった時とか、変わりたいなと思った時が学ぶチャンスだなと思って。私はそんな感じで学びたいと思ったんですが、皆さんはどうですか?

:どうしてお正月に変わりたいと思ったんですか?

:私は日記とかを始めたがるタイプなんですよね。ノートも最初はきれいに書きたいんです。なので、新しく始めるチャンスだと思って、切り替わりの時期に何かを始めたがります。あと、今の会社に入社して1年が経って、仕事が落ち着いたのもあり新しいことを始めるチャンスだなと思いました。

:「なぜ人は学びたいと思うのか」。自分はどうかを考えた時、できれば「学びたくはない」んですよ。何もせずに暮らしているのが一番いい。でも、なぜ学ぶかを自分に問いかけると、「恥ずかしいと思った」とか、「足りないな」というのを思った時に、しょうがない、学ぼうって思う。後ろ向きな考え方だから、この問いはすごい難しいなと思って。みんなそんなに前向きなの?って。皆さんの話も聞いてみたい。

M:「後ろ向き」って言ってますけど、学びたいというのは知識欲に通ずるところがあると思っていて。さんは本を読まれて、映画も観たりされると思うので、新しいことを知りたいとか、新しい世界を覗いてみたいとか、そういうのも学びのルーツにあるんじゃないかと思うので……なんだろうな。

何かができなくて、それに関する知識がないから学ぶだけではなくて、自然と日々学んでいることはあるんじゃないかと思いました。ただ単に知りたい、覗いてみたいという。どうでしょうか?

そもそも「学び」ってなんだろうって、まさにそういうことを考えていて。知的好奇心から、何かを見たり本を読んだりすることで、結果的には学べるんでしょうけど、それを学びと言われると、どうなの?と。自分のなかでしっくりこなかったところがあります。

経験から言うと、学びは「やらされるもの」「必要に迫られてやること」で、自分の好きなものとして取り組むことは学びと言ってしまっていいのかが分からなかった。

M僕は自分がやりたいと思ったこと、楽しいと思うことも学びだと思っているんです。楽しいと思って学ぶことがひとつの才能かなと思っていて。世の中の才能がある人って、実は生まれつき何かができるとかではなく、努力と思わずに、楽しみながら気付けば学んでいた、みたいな人のことを言うのかなと思っていて。

個人的には、楽しいことは全部学びで、いかに楽しく、面白がれるかが学んでいくためのポイントかなと思ったことがあります。そういう風に思われたことはありますか?

:私も同じように思っていまして、自分の子どもに対してはそれをすごく意識して接しているところがあります。やっぱり、やらされて学ぶより、努力している・学んでいるという意識なくやる方が吸収もするし伸びると思います。

親が「好き」を摘んでしまわないように、興味があることは何であれ、目ざとく見つけて伸ばすように意識しています。後ろ向きなことだけではなくて、日々興味のあることに対して知識を増やすことも、学びではあるのかなと思いました。

:私も、今回のテーマは「学び」と聞いた時に、学びってなんだ?と思って、みんなに聞こうと思っていて……。それで、Mさんの話に通じるんですけど、社会人になると学ぶこと、考えなきゃいけないことがすごく増えるじゃないですか。それは、今まで自分の経験したことが学びになって、その点がつながって線になって、それがアウトプットとして出て、それで給料をもらうという感覚。

なぜ人は学びたいか、という問いにおいての「学び」は「学習」のイメージ。一方で、「学び」というと、Mさんと一緒で、知らず知らずのうちに自分の頭の中に入っていくような感覚。だから、「学びたい」というのは、(それ自体)あんまりないのかなと思いました。全然まとまらないのですが……。

:好きだから勝手に吸収している学びももちろんあると思うんですけど、最初にさんが言っていたみたいに、やらなきゃいけないと思って学ぶこともあると思っています。というのも、私はもともと高校で理系を選択したんですが、あまり数Ⅲができなくて、「ベクトル」のテストで9点をとったんですね。大人になってから、なぜか悔しくて、急にベクトルが分かるようになりたい、物理が分かるようになりたくて学びたくなる瞬間があって、この歳になってもたまに数学のテキストを開いたりするんです。

なので、自分が嫌いだったり、できなかったり、悔しかったりしたことが学びたい気持ちにつながることもあるなと。もちろん、好きなことも学びにつながると思って聞いていました。

学ぶのは、「足りていない」を補うため?

:最初のほうでさんが「恥ずかしいから」「悔しいから」というマイナスのベクトルで学びたいと思うことがあると仰いましたが、なぜ学ばないことが恥ずかしいと思うのでしょうか?

:去年、改めて自分は英語が全然できないなと思いまして。海外の人がいる場で会話ができなくて、恥ずかしいな、勉強しないとまずいなと思ったのが直近のことです。同じように、生活や仕事をするうえで、自分が場に適していないと感じると、それは恥ずかしい・悔しいという気持ちになる。

高いお店に料理を食べに行くときに求められるマナーがあるように、最低限ここまでは知っておかなきゃいけないという思いがあるので、そこは足りるようになろうというのが、個人的な考えです。

M「足りていないと感じること」がすごく大事だなと思ったことがあって。逆に、足りていると思い込んだり、足りていないことに気付けないと、周りの人を傷つけたり、恥ずかしい思いをするなと思うんです。人とお酒を飲んでいるときに、ルッキズムを感じる発言や、セクハラのようなことを言っている人がいたんですね。

ある程度マナーや知識があればそれを恥ずかしいと思えるけど、知らない本人は全く気付かない。僕はそういうときに、「学ばなきゃ」と思える人になりたいと思いました。そういうのってありますか?

:少し違うんですけど、私が悔しくて学びたいと思うのは、「できなかった自分を救ってあげたい」みたいな、自己愛のようなときがあります。例えばさっきの数学の話ですが、頑張って学ぼうとしていたけど、うまくできなかったあの時の自分を救いたいなという。でも、例えばマナーがわからなくて恥をかいた自分を、今後そうならないようにしてあげたいな、と思うことも結構あります。