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【Skholeの哲学広場】第2回―共感とは他者への「理解」か「思い込み」か?―前編

古代ギリシャ語で「余暇・暇」を意味する「Skhole(スコレー)」。この「Skholeの哲学広場」は、古代ギリシャ人が、Skhole(余暇)に哲学的な議論をおこなっていたということから発想した企画です。デザイン・クリエイティブのヒントとなる(かもしれない)、「哲学対話」の様子をお届けしていきます!

第2回目のテーマは、「共感とは他者への『理解』か『思い込み』か?」。今回は、デザインの専門校・東京デザインプレックス研究所に通う5名の方々に参加いただきました。人と人の間に起きる「共感」について、さまざまなシチュエーションを想像しながら対話が進み、後半では「SNSと共感」「AIと共感」の話題に。

みなさんも「共感」について、ぜひ一緒に考えてみてください!
※「哲学対話」の概要は第0回の記事で紹介しています

■参加メンバー
ピコ:前職は機械設計。映画鑑賞、読書、美術館巡りが趣味。
マツ:ITコンサル、アニメーター。進化学と心理学に加え物理も好き。
:前職は小学校の教員。毎年やりたいことリスト100個に取り組んでいる。
キラ:地球の美しさに惹かれている。文字を綴ること・紡ぐことにも関心がある。
フク:医療から方向転換してデザインの勉強中。片付けることが苦手。
(ファシリテーター:

「理解」と「思い込み」は補完関係にある

:例えば、ある歌詞の文面を見たとき、それが作られた裏側やエピソードを知らなくても、作者と同じ思いになることがあると思います。作った人の意図を知らない・理解していないのに、それを「共感」と呼ぶことが果たして適切なのか疑問があり、「共感とは他者への『理解』か『思い込み』か?」という問いを考えました。この場合、「こう思って作ったのかもしれない」という聴く側の思い込みや、自身のエピソードと関連付けた思い込みによって共感しているんじゃないかと思ったんです。

一方で「理解」は、相手がその感情に至るまでのプロセスの理解という意味で、プロセスを理解できていないのに相手に「共感」するとはどういうことなんだろうと思いました。

マツ:「理解」は、ある感情が生まれる背景を知っていること。「思い込み」は、その背景を自分の部品で埋めること。その両方において「共感」が成り立つのか?ということですよね。

私は前提として、まったく同じ感情を共有することは多分できないんじゃないかと思っています。とすると、「相手がピンク色の感情を持っているとしたら、私も同じようなピンクをできるだけ自分の中に作ろう」とする試みが共感だと思う。その試みができていると思うのであれば、プロセスを真に理解していなくても、自分の中にあるもので補完していいんじゃないかなと思いました。

ホワイトボードに書かれた「共感」の文字

ピコ:相手が出力した言葉に対して、本当の「理解」はあるのか。世の中にある「共感」って、自分の経験と繋ぎ合わせたものだから、本当の理解はないに等しいのかなと思う。歌詞を作った人も「いろんな風に捉えてほしい」と思っているだろうし、本当の理解がなくても共感は世の中にあふれている。

共感は嬉しいものだし、少しでも、断片的にでも理解できたのであれば共感と言ってしまってもいいのかなと思いました。共感の度合いにはレベルがあるとも思います。まだ「共感」とはどういうことか、迷いもあるんですけど……。

キラ:「共感とは他者への『理解』か『思い込み』か?」という質問は二極化していると思うんですが、共感の定義づけをする質問にも思えて。その点で考えると、共感は一瞬の出来事というより、その前後にも関わってくることだと感じています。ある事象が起こった時に、それを受け取った人が共感して、それによって感情が変わることが「共感」なのかなと思いました。

共感して「別の感情になる」パターンと、「感情が増幅される」パターンの両方あると思っていて。そのあとに行動が決定されることまでが共感なのかな。もっと広い視野で見た時に、広範囲に位置づけされるものが共感だと感じました。

:たしかに、「理解」と「思い込み」のどちらかしかないような問いだなと……。共感にもいろいろな種類があると思ったので、他にどういうものがあるか気になりました。あと、私も相手の気持ちをまったく同じように理解するのは無理なことだと思います。

片手にボールを持ちながら発言する参加者
哲学対話ではボールを持っている人だけが話し、ほかの人は黙って話を聞くルール。発言したい人は手を挙げて、ボールを受け取ってから話す

「影響を受ける」ことも共感のうちのひとつ?

フク:相手のことを絶対的に理解することができないのは、本当にそうだと思います。あと、キラさんが言っていた、共感は瞬間の出来事ではなくて感情が変わることであるというのは、本当にそうかな?と思いました。

「感情が変わらない場合は共感にならないのか?」について考えているんですけど、思いつかなくて……みなさんはどうですか?

マツ:例えば、大きい事故で被害を受けた二人がいた時に、片方に対して「私もわかるよ」と言うのは、同じ経験を持っていて、かつ「少なくとも私はあなたと感情を共有したいと思っているよ」と示した時点で思いは共有されているから、感情の変化を伴わなくても共感になると思いました。

さっきピコさんの話を聞いていて思ったのは、共感する側とされる側で少し定義が違うのかなということ。共感することは自由だし、共感はあった方がいいような気もするけど、する側・された側の感じ方は必ずしもイコールではないと思います。

共感された側は、「それは私のことを理解していないから、共感ではない」と言う権利もあると思いました。でも、「あなたに共感します」「私は共感されました」という手続きを踏んだら、その後の感情の変化を伴わなくても共感といえるんじゃないかな。人によってそれが「共感」といえるのか、考えは違うかもしれないのですが。

ピコ:ここまで共感について話してきたなかで、定義をまとめたい。本当に理解していない「共感」と、同じ経験を持っている人同士の「共感」、感情が動かされる「共感」、行動に移す「共感」。共感って、どういうことだろう?

キラ:そうですね。例えばアーティストがCDを売り出して、受け取った人がその歌詞に共感するという話があったと思うんですけど、そこで終わりにはならないのかなと思っていて。多分、無意識のうちに「理解」をして、その後、自分の行動に影響が出る。その後の行動に関わってくるものの全体が「共感」なのかなと考えています。理解か思い込みかというと、「自覚はできない理解」なのかな。

「共感」自体、集団で生きる動物にとっては必要なことなんだろうという考えもあります。そう考えると、「思い込み」ではなく「理解」を含む。共感には理解を含むけど、それ以外の感情も含まれていると感じます。なかなか言葉で表現するのが難しいですけど。まさに、今言っていることも理解してもらえているのかな?

マツ理解と思い込みの混合なんだろうと思いました。相手から受け取った情報も自分の過去も、どちらも材料になって共感につながると思います。

キラさんが話していた、共感がその後の行動に影響を与える話について。私のイメージでは、人が作ったものや、この世のすべてのものと関わるごとに自分は影響を受けていると思う。だから必ずしも、ある歌詞に共感したから行動を起こしたというように、明示的でなくても自分の中には染み込んでいるわけで……私の中ではそういう整理をしました。どうでしょうか?

マツさんのまとめ方がすごくしっくりきました。他者の理解も材料になるし、自分の経験も材料になるのは、確かにそうだと思います。あと、共感によって起きる変化や行動についても、他者の材料が入ってくる前の自分にはもう戻れないし、取り込む前の自分とは違う行動をするだろうし。

それでいうと、共感によって自分の行動が変わるともいえるし、共感できなかったとしても、それはそれで自分の行動は変わると思う。共感してもしなくても、他者の何かを取り込んだら、その後の自分は何かしら変わっているだろうなと思いました。

マツ:そう考えたら、共感の有無に関わらず、共感しようと試みた瞬間に時空を超えてその大元である相手から影響を受けられるんだと思って、すごく面白い能力だなと。

マツ:昔の人の手記を読むことでも――それは架空の人物かもしれないし、もう時空どころじゃなく現実と空想、夢の中の人でも、ありとあらゆる場所の意思を持っているもの・人物から影響を受けられると思えば、本を読んで影響を受けるのも共感の能力だし、すごくいい能力だと思いました。うん、人はこういう風にも共感、している気がする。

集団の中で求められる共感能力

フク:少し話が逸れますが、キラさんが言っていた「集団で生きる動物には共感が必要」というのは、なぜだと思いますか?

キラ:そうですね、例えば相手が怪我して痛がっているのを見て、共感がなければ痛みは分からなく、何も行動しないのかなと。共感があればその痛みが分かるから、相手がどうしてほしいかを考えて、助けるのか、無視するのかを選択する。なので、助け合い、思いやりを持つためには共感能力が必要で、その能力を持っているのは集団で生きる生物なのかなと考えています。

マツ:今の話を聞いて、例えば同じ生物の集団の中で、3割には全く共感能力がない状況を考えたとき、それは怖いなと思いました。集団の中で安心していられるためにも共感は必要なのかな。

:共感は必要かどうかを考えた時に、共感がなければ国や社会は成り立たないと思って。本当に「個」が「個」になっちゃうというか。会社を作りたいと思った時には、会社を作る人がいて、その思いに共感する人たちがその会社のものを買ったり協力したりする。共感がなければ、ただ存在しているだけになっちゃう気がして。

そう考えると、人間社会ではルール作りやものづくりも、全部共感の上に成り立っているのかなと想像しました。