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【Skholeの哲学広場】第2回―共感とは他者への「理解」か「思い込み」か?―後編

「共感しているかどうか」の分かりにくさ

H:先ほど、集団の中にまったく共感能力のないものがいたら怖いと仰っていましたが、どのように「共感能力がない」と判断して、その何が怖いと感じますか?

マツ:共感がないことを判断するには……。別個体の心を知ることができないのは実際の人同士の関わり合いと同じで、外から見て判断するしかない。共感している場合は、そういうムードを示すはずで……さっきは共感能力がない個体がいる前提で話しましたが、現実でもし私に共感しない人がいても、その理由を説明してくれたら怖くないです。

あと、相手のバックグラウンドを知ることができればなお良い。私がさっき想像した怖さは、我々は異なっているということも認識できない相手に対してのものでした。「こう違うよね、じゃあこうしていこう」という、違いを踏まえたその先の行動を一緒にとることができないと、集団の中でやっていくことは難しいと思ってしまう。

きっと共感できない人は現実にたくさんいるだろうけど、対話ができれば問題ない。もし共感のできなさが攻撃に変わったりしたら、一緒にやっていくことは難しいかもしれない。それは現実の人間であっても変わらないかもしれないと思いました。

キラ:今、現代で最も共感が起こっている場所は多分SNSの中だと思っていて。SNSは超巨大な集団で。その中で本当に共感しているのかどうかがすごく分かりにくいと思っています。

例えば「いいね」ボタンを押したら共感になるのかどうか。いいね数が多ければ共感している人は多いのかという話もありますし、そのいいねの中にも、本当に人の意思でいいねされたものなのか、金稼ぎのためのいいねが数字として表れているのかが曖昧になっていると感じます。本当に共感しているかは、現実で会って話さないと分からないのかなって。

マツ:文字では、共感は難しい?

キラ:うん、文字では、かな。ただ、さっき昔の人が書いた本を読んで共感することが自分の糧になるという話もされていたので、一概に、文字だけでは共感できないかというとそうでもないんですよね。だから、「本心」かな。共感には本心が不可欠なのかなと思いました。それが本心であるなら、理解にしろ思い込みにしろ、恐らく本物の共感が生まれている。

「本心」が共感のカギなら、生成AIへの共感はない?

マツ:たしかに、本心から何かを発しないと共感はされないと思いました。それで、本心から発せられる場合の情報の形は、なんでもいいんじゃないかな。ただ、「質と量」が大事だと思って。表情やしぐさ、声、体温も含めて最も情報量を多く受け取れるから、直接対話することが共感にとって一番いいシチュエーションになる。

本でも、曲でも、映画でも、その出所が本心であり、情報の質と量がきちんとあることが関わってくるのかなと。それが相手に伝わって、共感の意思表示があって、それを受け取ることの合意があるのが、「共感」の全体の流れとして納得いくと思いました。

キラ:質と量が大事というのは分かります。クリエイティブな人が作り出す作品から受け取るものの中には共感も大いにあって。文字ではなくても、造形物を見て共感も生まれるし、絵や映像作品の中の物語や登場人物の関わり合いを見ても共感できる。

昨今は生成AIでクリエイティブな作品が昔よりも容易に、大量に作れる状況にありますが、それが恐らく多くの人に刺さっていない、良いものとされていないのは、そこに共感がないことが大前提にある。

やっぱりそこに作り手の本心が乗っかっていないからだと思っています。芸術作品にしろ、デザインにしろ、作者の喜びや怒り、悲しみ、楽しみといった人生で得たものが落とし込まれて、本心を体現しているから受け取る人は共感する。生成AIで作ったもの、人の心が乗っかっていないものは共感を生まないのかなと感じました。

フク:本心がないと共感は生まれないのは本当にそうだと思うのですが、私は生成AIに騙されることが結構多くて……。以前、生成AIで作られた、ショッキングな事故の映像をSNSで見て、その事故現場にいる人々に対して「この人たち大丈夫なのかな」と思ったんです。生成AIに対しても共感というか、そういう感情が生まれると思って。うーん、共感というのか……。

H:恐らく、その事故現場の状況に自分を当てはめて、きっと痛いだろうな、怖いだろうなと想像したから共感されたのだと思ったのですが、どうですか?

フク:うーん、状況に自分を当てはめて考えてはいなかったと思います。そこにいる人々に対して「大丈夫かな?」という感情でした。それを共感と捉えていいのかが分からないです。今回のテーマでもあると思うんですけど。

:私は、それは共感なのかなと思いました。その場にいた人たちの辛さが分かるから心配するという。そう考えると、AIが作ったものに対しても共感はできるだろうなと。

ただ、それを作ったのがAIということに対しては共感したくない、できないという仕組みなのかもしれないと思いました。それを作った人が誰だから、どういう経験をしたから、自分にとってどういう存在だからということも一つの材料になって、共感につながると思うから。

フクさんの場合も、動画の内容には共感できたけど、AIが作ったことへの共感のできなさが、共感を止める。だから私は、生成AIを使うことに対して後ろめたい気持ちがあるのですが……。

SNSや生成AIによって広がる、共感の範囲

マツ:たしかにそう思います。作品には作者がいて、作者の本心が乗っかっているから、作品を通じてその本心にアクセスできる。そこに作者に対する共感が成り立つ。

生成のボタンを押した人は向こう側にいるけど、生成AIとその人との間は断絶されていて、その人の本心は受け手には多分届かない。さっきフクさんが一瞬でも共感したのは、生成AIの向こう側、その映像を撮ったかもしれない人や、その場所にいたかもしれない人に対して共感しに行ったのに、そこに誰もいなかったという怖さがあった。生成ボタンを押した人に共感は届かない。それは新しい感覚で、すごく面白いとも思います。

ピコ:向こう側に何もない(誰もいない)という、ネット上で起きる共感が世の中にあふれているのもあって、本心から生まれる、人が作るものの価値が上がっていると思います。

AIによってものが生み出されることで、「共感」の幅が広がっていったのかなと。共感には度合いがあると思うので、ネット上の情報から生み出されたものへの共感度は低くて、逆に絵画作品やブランドとか、そこに込められた本心が大きければ大きいほど、大きな共感が生み出される。

マツキラさんとピコさんのお話を聞いて思ったのですが。さっき、AIの向こう側には誰もいないと言ったけど、そこに実体を無理やり与えるとしたら、インターネットが登場してから今までのすべての情報を詰め込んだ、「人間の平均の化け物」みたいなものがいる。

AIが作ったものには本心がなく、その意味で共感できる気がしないけれど、その化け物から「人を失った悲しみ」という一部分を取り出して、その感情によって絵を描かせたらその絵を介してきっと悲しみを受け取る。それは共感したことになると思いました。

AIはどの段階から意識を持つのかという話をよく聞きますが、今後、明確に意識と言えるものが現れるかもしれないし、少なからず会話型の生成AIに意識のようなものを感じ取っている人もいる。私たちの認識次第で、AIの向こう側は空っぽなのか、化け物がいるのか、多分まだそれぞれが選んでいる時代なんだと思います。そのうちの一つに、何かの感情や情報に特化したものもいる。

「共感」というものの範囲がどんどん広がっていて、面白いなと思いました。

今回、テーマ「共感とは他者への『理解』か『思い込み』か?」について東京デザインプレックス研究所のみなさんに哲学対話をおこなってもらいました。

哲学対話には「正解」や「答え」のようなものはありません。ただ、参加者のみなさんの飾らない言葉や素直な意見から、読者のみなさんのなかになにか新しい考えやヒントが生まれたり、これまで見逃していた自身の気持ちに気付いてもらえたりするきっかけになれば幸いです。

■東京デザインプレックス研究所
https://www.tokyo-designplex.com/

次世代のデザイナーを育成する、学生・社会人のための本格的なデザイン専門校。トップクリエイター/現役デザイナーが講師を務め、授業は少人数制・実践形式による独自のプロフェッショナル教育を実施。未経験者を難関デザイン企業内定に導いている。分野はグラフィックデザイン・Webクリエイティブ・空間デザイン・インテリアデザイン・ブランドデザイン・UX/UI・UXリサーチなど。